2009年03月06日(金) 【暢気なダンブルドア】 「賢者の石」の続きです。 虎猫に変身していたマクゴナガル先生にダンブルドアが声をかけます。声をかけられて元の姿に戻ったマクゴナガル先生が、「どうして私だとおわかりになりましたの?」と言っています。 後の巻を読んでからこの場面を振り返ってみて思いました。二人ともホグワーツにかなり長い間勤務しているはずなのに、どうしてマクゴナガル先生が何に変身できるのかをダンブルドアが知らないのか…。 しかも、マクゴナガル先生のアニメーガスに関しては、きちんと正式な登録もされているのに。そして、ダンブルドアはかなり色々なことを知っていそうな人なのに…。お互い秘密主義なのかな。 その後も二人の会話は続きます。 1日中煉瓦塀の上に座ってダーズリー家の様子を見ていたマクゴナガル先生にダンブルドアが「お祝いしていれば良かったのに」と言います。 マクゴナガル先生は、喜び・騒いでいる人たちは分別がない、もっと慎重にすべきだと腹立たしげ。一方ダンブルドアはそんなマクゴナガル先生に、大好きなレモンキャンディーを勧めたりしています。 マクゴナガル先生は、自分の気持ちからか、あるいは仕事の一環でかはわかりませんが、1日ダーズリー家の様子を見ていました。どうしてそんなことをしていたのでしょう? このダンブルドアとの会話の場面をDVDの方でも見て合わせて考えてみると、マクゴナガル先生は、これからこの家に連れてこられるハリーポッターのことが心肺なのかな?と思ったりしました。 それと同時に、その後の場面にもありますが、ダンブルドアに「噂の真相」を確認し、ボルデモートに殺されたハリーの両親のことにも触れ、悲しんでいる様子。ポッター夫妻のことを考えてとても浮かれる気分ではなかったのです。 ハリーの両親は二人ともグリフィンドールの生徒でした。厳格で、それほど周りの状況に流されたり、どんどん感情を外に出すような雰囲気ではないマクゴナガル先生ですが、所々の場面で、とても生徒思いの先生なのだということがわかり、そんな先生にひかれる部分がかなりあります。 一方ダンブルドアは…。どうしてこんなに暢気にできるの?と思ってしまいます。 よく知っている人たちの訃報を聞いたら、普通はお祝いしたい気分になんてならないと思います。しかも、尋常ではない死に方をしているのに…。 身近で幸いボルデモートによる被害を被らなかった人たちは喜ぶ気持のみで浮かれると思いますが、身近な知り合いが殺されてしまったとしたら、悲しいとか、悲しいまでいかなくても、浮かれる気分にはなれないのがやはり普通なのでは…? ボルデモートが消えてしまった喜びの方が、ダンブルドアの気持として強かったのか?そうでなければ「お祝いしていればよかったのに」なんて言葉は出てこない気がします。 それとも、ある意味偉大なダンブルドアは、そういった一般的な感情とは無縁な人なのかも?後の場面では、とりあえず沈痛な面持ちにはなっていますが。どれをどこまでどう思っているのかがわかりにくい人です。 この二人をこうして比較してみると、益々マクゴナガル先生は人情に溢れた良い人だと思えてきます。 だいぶダンブルドアをけなしたような書き方をしてしまいましたが、初めのうちはけっこうダンブルドアに良い印象を持っていたし、ダンブルドアの行った言葉で涙した覚えもあるので、その場面について書く時には、また良い面にも触れたいと思います。 16:19 コメント(0) [コメントを書く] <<重要なお知らせ>>@peps!・Chip!!をご利用頂き、ありがとうございます。
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