捧げもの・宝物小説
捧げ物
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風。

歩き慣れた道でも、立ち止まって目を閉じると一瞬それが自分の全てになる。
自分と風が一体になったような、そんな感覚を覚える時がある。
それは数週間前まで当たり前だと思っていたこと。
だけど、今の俺にはそれがやけに自分から縁遠いものに思えた。

今年の春、俺は通い慣れた地元の中学を卒業し、市外の高校に電車で通うようになった。
風景は見慣れた田んぼや川ではなく、ある程度整った所々ビルが建つ町並みに変わった。
地元から離れたこともあり、見知った顔はほとんどこの学校には無かった。
――何だかそれは見知った地元という世界から離れた別な世界に来てしまったようだった。

そんな右も左も分からないような別世界で、俺は弓に出会った。
最初は、ただの好奇心だった。
でも入部して練習を積み、的に向かって弓を引くようになり、そして初めて的に中った時――その時から俺は、弓に夢中になっていた。
同学年の部員の誰よりも練習を積んだし、誰よりも貪欲に的に中るようにしようとしていた。

――今、思い出すと懐かしい。


だけどある時から段々と的に中らなくなった。
それどころか、弓を引くとすぐに手を離してしまい、狙いも正確に付かなくなってきていた。
中らなくなったことで焦り、外す。
そんな連鎖は、段々と俺から弓の楽しさを奪っていった。

俺は思い通りに動いてくれない自分の手を呪った。
何でこいつは俺の思うように動いてくれないのか、と俺の頭の中は怒りで満たされていった。


そして俺は、今日も部活が終わると自主練習もせずに弓をしまい道場を出て、電車で帰路についていた。
何をするということもなく空いていた席に座り、携帯のボタンを操作する。

「おい、姉ちゃーん――」

ふと、俺の耳が下品な声を捉えた。
顔を上げると、まだ六時を回ったところだというのに、ぐでんぐでんに酔った中年の男が女の子に絡んでいた。
絡まれているのは眼鏡をかけている小柄な子で、さっきまで読んでいたらしい分厚い本を両手で抱くようにして持っていた。

「やめて下さい・・・」

今にも消え入りそうな声でその子は言ったが、酔った男には何を言ったか聞こえていないようだ。
だが、何かを言われたのは分かったらしく男は「なんだと」と、更に逆上する。
眼鏡の子はそれに怯えた様子で、更に縮こまってしまった。
この時間帯は田舎とはいえそこそこの人が乗っているが、みんな見てみぬふりをしていた。

俺は、今時呆れた奴も居るものだと思いながら、手元の携帯に視線を戻した。
彼女は別に刃物を突き付けられているわけでも無ければ、痴漢にあっているわけでもない。
男もそのうち離れていくだろうと思い、特に深く考えなかった。

――と、俺の携帯の画面がメールを受信するときのそれに変わった。

(ん?誰だろう)

見覚えの無いアドレスからだった。
開いてみると、メールには一言だけしか書かれていなかった。



  助けないの?



俺は目を丸くした。
そして、慌てて顔を上げ周りを見回す。
――誰かが俺のことを見ている?
しかもそいつは何故か俺の携帯のメールアドレスを知っている。

・・・。

俺は何とか平静を装って、メールの相手に返信を打った。


『お前は誰だ?何故、俺の携帯のアドレスを知っている?』


返事は驚くほど早く返ってきた。
だが、それは答えでは無かった。


『別に私はあなたに危害を加えるつもりはない。ただ、目の前の女の子を助けないのか聞いているだけ』


俺は戸惑った。
わざわざ見ず知らずの人間の携帯にメールをしてまで、このメールの相手はあの子を助けさせたいのだろうか?
そもそも、見える位置にいるなら自分で助ければ良いんじゃないか?


『何で俺にそんなことを聞くんだ?そんなに気になるなら自分で助ければ良いだろう』


俺は思ったことをストレートに、メールに打ってやった。
返事はやはりすぐ返ってきた。


『何か勘違いしてるんじゃない?本当に他人に押しつけているのはあなたの方じゃないの?あなたは自分が動けばあの子を助けられるのに、その役割を他人に押しつけているだけ・・・私にはそう見える』


俺はその返事を見て、すぐに「そんなことは無い」と打とうとした。
が、打とうとして気付く。

俺は弓をやりだしてから、中らなくなってそれを一体誰のせいにした?

・・・そう、俺は自分の『手』のせいにした。

少し考えれば分かることだった。
手が勝手に俺の意志に背くようになる訳が無い。
もしそうなったら、その原因は俺にあるに決まっている。

俺は急に、酔っ払いが好き勝手にしているのを見てみぬふりをしている自分に苛立ちを覚えた。
自分の「手」でもなくメールの向こうの「誰か」でもなく、「自分自身」に。

俺は無意識に立ち上がり、酔っ払いと眼鏡の子の間に割って入った。

「おい・・・お前いい加減にしろよ」

酔っ払いがようやく眼鏡の子に絡むのを止め、今度は俺に向かって悪態をつく。

「あぁ〜?うるせぇー!お前、何様なんだ!」

さっきより更に顔を真っ赤かにしながら酔っ払いの男が怒鳴る。

「お前、恥ずかしくないのか、昼間から酒飲んで暴れたりして!」

俺は苛立ちのせいか語気を荒げて、負けじと言い返した。
男も何を言っているのか判別し辛い言葉で喚く。

しばらくその下らない口喧嘩は続いた。
やがて、俺が割って入って騒ぎが大きくなりそうだと誰かが思ったのか、車掌が現れた。

「おい、何すんだ!俺は何もやってねぇ!」

最後までうるさく喚きながら、男は車掌に連れていかれた。

俺は何だか急に疲労感が込み上げてきて、近くの扉に寄り掛かった。
さっきまで俺が座っていた席は、いつの間にか他の乗客にとられていた。

周りの景色から、いつも下りている駅は次の次だと分かる。
どうせ大した時間では無いだろうと思いこのまま寄り掛かっていることにする。

「あの・・・」

左耳が小さな声が届き、俺は顔をそちらに向けた。
さっきの眼鏡の子が立っていて俺を見上げている。

・・・そういえば俺はこの子を助けに入ったのだった、苛立ちのあまりそんなことは忘れかけていた。

小柄なせいかさっきまで気付かなかったが、この子も自分と同じ学校の制服を着ていることに気付いた。

「ありがとうございました・・・」


眼鏡の子はたった一言だけだというのに、その言葉をやっと絞りだしたかの様に言った。

「あ、ああ」

俺は何だか急に罪悪感を感じた。
お礼を言われるような事は何もしていない。
それどころか、さっきまで俺はこの子を見捨てようとしていたのだ。

俺がろくに返事もできずにいる内に電車は駅に着き、彼女は軽く頭を下げて行ってしまった。

・・・さっきのたった一言から彼女がどれだけ心細かったかが分かってしまった。
今になって思えば、俺のしようとしていた事はとても心無い事だった。

俺は次の駅で下りると、すぐに携帯を再び取り出して、さっきまでのメールの相手に返信を打った。


『誰だか知らないがさっきは助かった・・・あんたのおかげで、何かを間違わなくて済んだ気がする』


やはり、返事はすぐに返ってきた。


『私は見ていただけ。助けたのはあなた。だから、お礼はいらない』


相変わらず文面は淡泊だった。
だが俺はだからこそ、その文面に彼(或いは彼女か)の優しさが表れているような気がした。

何だか俺は、ひどく自分を惨めに思いながら帰路に着いた。
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